01-Sep-2002の日記に対しては反響がいくつかあった(と言っても、片手で十分に数えられる数しか無いような…)ので、03-Sep-2002でコメントを紹介した小熊さん以外のものを取り上げてみますね。(伝言板へのメッセージは伝言板へのメッセージでお返事します…筆不精で申し訳無い)
まずは、もなかさんのコメント。資格の価値に半減期(もしくは、有効期限)があるのは確かに考慮しなければならない事項で。
実を言うと、この点から見ると自分は非常に不利で、そのことを一生懸命嘆いていたりします。道具を数多く持っているくせに(そう思っているのは自分だけ?)、肝心の道具のメンテナンスはロクにやってない。そして忘れてはならないこととして、道具の数は少なければメンテナンスの手間も少なくて済むものの、多ければその分の手間がかかってしまい、なにかと不経済になるということを。
その辺は…もう、状況に応じて持ち続けるべき道具、捨てるべき道具、新たに入手すべき道具を、自分が必要としているか、入手した後に使いこなせるか、懐具合等の要件と相談しながら決めていくしかないでしょう。
ちなみに、THE BLUE HARTSは『TRAIN-TRAIN』『リンダ リンダ』『夢』くらいしか知りません(歌えません)。当時はロックバンドブームということもあり「なんでぇ」と思っていたんですが、真面目に聴いてみるとなかなか良いもんですね。単にノスタルジーを感じているだけなのかもしれませんが。
(そういや、最近またアンテナ落ちてるみたいですよ)
次に、masakazu先輩のコメント。
小石川植物園で猫と一緒に日向ぼっこをする.日差しが強いようなら木陰で風に吹かれている.そーゆー生活は俺もしたいです。小石川植物園へ行ったことが無いので、どういう場所かは知りませんけど。
「俺様は俺様だぜぇ〜へへん」とやれればまあ苦労はしないのだけど、自分自身の人生における絶対的なピークを考えるよりも、例えば同年代なり同じ場所にいる人間の人生におけるピークを比較して、自分がどういうポジションに置かれているかってのは前にも書いたのと似ていますが、意識しちゃうんですよね。
それに、ピークと書く以上は将来は下がる可能性だって否定できない訳だし(一寸先は闇と言われるようにね)。それを維持するだけのコストというのはよく考えておかないといけないんじゃないかと思いますね、先に書いた道具の話じゃないけども。
あとはねえ…過去は置いといて、とりあえず™の現在が足元にあって、未来への希望があんまり持てない、というのが正直なところかな(小学生の頃から、「お前達は将来は2人で1人の老人を食わせるために働くんだ」とか言われ続ければ…そりゃぁ萎えるよな、せめて「苦しい時代にはなるだろうが、自分の幸せのために働くのが基本なんだ」とでも言ってくれりゃあ救いにはなっただろうに)。かといって、河岸を変えるだけの力も無し。悪循環。
と…まぁ、さんざん大騒ぎして御迷惑お掛けしてしまいましたが、なんとか大丈夫です。とりあえず、現在片付けるべき物(2〜3個ある)と将来の方向性、およびそれに必要なものの洗い出しは大体できたので、あとはそれを実行するだけです。
ただし、片付けるべき物その(2)がやたらと難問なのと、片付けるべき物を片付けるための時間+必要な物を手に入れるための時間がほとんど無いということが問題なんですよね…
「1が1である可能性が100%でないのなら、0が0である可能性もまた100%ではない」と、ラーメン屋からの帰り道で思ったから(気休めかもしれないが)、多少の勝機があると思い込んで玉砕してみますかね♪それしか芸、無いし(22:00)